
この記事でわかること
- ドッペルゲンガーはドイツ語で「二重に歩く者」。リンカーンの逸話は、本人から聞いた話を後に記した回想である
- 脳の側頭頭頂接合部への電気刺激で、「そばに誰かがいる」感覚が生じた報告がある(2006年)
- 自分の姿に関する体験は、ある論文(Brugger、2002年)で、自己像幻視、ヘオトスコピー、体外離脱体験の3つに区別することが提案されている
「自分そっくりの人が見えた」という現象
「廊下を歩く自分を見た」「鏡ではないのに自分の顔をした人が目の前にいた」——こうした体験を「ドッペルゲンガー(Doppelgänger)」と呼びます。
古来より不吉の前兆とされてきたこの現象について、一部の体験は、脳の働きとの関連が調べられています。
ドッペルゲンガーとは
ドッペルゲンガーはドイツ語で「二重に歩く者(Doppel=二重・gänger=歩く者)」を意味します。自分自身と全く同じ姿をした存在が目撃されるという現象・概念を指します。
語源辞典DWDSによると、この語はドイツの作家ジャン・パウルが1796年に「Doppeltgänger」の形で、「自分自身を見る人」の意味で用いたのが初出とされています。現在は「そっくりな人」の意味でも使われます。
歴史上の目撃例
リンカーンの逸話
アメリカ第16代大統領リンカーンの逸話は、鏡に自分の顔が二重に映って見えたというものです。ジャーナリストのノア・ブルックスが、1864年の大統領選の後にリンカーン本人から聞いた話を、1865年7月の雑誌『Harper's New Monthly Magazine』の回想に書いています。
ブルックスの記述によると、リンカーンの話は1860年の大統領選の直後の出来事で、鏡の中の顔が二つに見え、一方の顔は少し青白かったといいます。リンカーンの妻は、これを「前兆」ではないかと心配したと書かれています。一方、ブルックスは、リンカーン自身はこれを光学的な錯覚と考えていたと記しています。
これは出来事から年月がたってから本人に聞いた話を記した回想で、実体のある分身が現れたことを示すものではありません。
科学的な解釈
脳の「身体地図」の誤作動
神経科学の研究では、自分の姿が見える体験の一部が、脳の特定部位の働きと結びつけて調べられています。
Blankeら(2005年)は、側頭頭頂接合部(TPJ:Temporoparietal Junction)が、自分の身体の位置と視点を想像する処理に関わり、自己と身体の空間的なまとまりに関与すると報告しています(要旨で確認)。
Arzyら(2006年)が科学誌「Nature」に報告した研究は、てんかん手術の前の検査を受けていた患者1人についてのものです。左の側頭頭頂接合部に電気刺激を加えると、そばに誰かがいるという感覚が繰り返し生じました。その「影の人物」は、患者の姿勢の変化に合わせて同じ姿勢をとるように感じられたと報告されています(要旨で確認)。
著者らは、この部位での身体と自己に関する感覚の統合の乱れが関係すると考えています。ただし、これは1人の患者の報告で、「自分そっくりの人が見える」体験そのものを再現したものではありません。
自分の姿に関する体験の分類
Brugger(2002年)は、自分の身体や自己が二重に現れる体験を、自己像幻視(鏡に映った像のように自分の身体が見える)、ヘオトスコピー(分身、つまりドッペルゲンガーとの出会い)、体外離脱体験(自己が身体から離れて、身体を外から見る)の3つに区別することを提案しています(要旨で確認)。
よくある誤解
「ドッペルゲンガー=死の前兆」は科学的根拠では説明できない
不吉な伝承として語られることが多いですが、死の前兆とする伝承を裏づける根拠は、この記事で参照した研究(Arzy、Blanke、Brugger)にはありません。
本記事は一般情報であり、診断や治療を代替しません。
まとめ
- ドッペルゲンガーはドイツ語由来の言葉で、「二重に歩く者」を意味する
- 側頭頭頂接合部(TPJ)は、身体と自己の感覚の統合に関わる部位として研究されている
- 2006年の報告では、患者1人の左TPJへの電気刺激で、「そばに誰かがいる」感覚が繰り返し生じた
- リンカーンの逸話は、本人から聞いた話を後に記した回想で、検証が難しい
よくある質問
Q. ドッペルゲンガーとデジャブは同じですか? A. 別の現象です。デジャブは「初めての場面が以前見たように感じる」既視感で、ドッペルゲンガーは「自分そっくりの存在を見る」体験として語られることが多いです。
Q. 疲れているときに見えるのは普通ですか? A. 疲労との関連は、この記事で参照した資料では示されていません。
Q. 科学では完全に解明されていますか? A. 脳の自己認識に関する研究は進んでいますが、「自分そっくりの人が見える」体験の原因は、一つでは説明できません。
参考資料・出典
- Arzy, S., Seeck, M., Ortigue, S., Spinelli, L., Blanke, O. (2006)「Induction of an illusory shadow person」Nature, 443, 287:要旨で確認(本文は未確認)。
- Brugger, P. (2002)「Reflective mirrors: perspective-taking in autoscopic phenomena」Cognitive Neuropsychiatry, 7(3), 179–194:自分の姿に関する体験を、自己像幻視、ヘオトスコピー、体外離脱体験に区別することを提案した論文。要旨で確認(本文は未確認)。
- Blanke, O. et al. (2005)「Linking out-of-body experience and self processing to mental own-body imagery at the temporoparietal junction」The Journal of Neuroscience, 25(3), 550–557:TPJと体外離脱体験の研究。要旨で確認(本文は未確認)。
- DWDS「Doppelgänger」(Pfeifer『Etymologisches Wörterbuch』):語の構成と初出(ジャン・パウル、1796年)。
- Brooks, N.「Personal Recollections of Abraham Lincoln」Harper's New Monthly Magazine, Vol. 31, No. 182(1865年7月):リンカーンの鏡の逸話の回想。雑誌のスキャン(archive.org)で該当段落を確認。
